森鷗外『高瀬舟』について

 現在の中学3年生の教科書には、森鷗外の『高瀬舟』が掲載されており、多くの学校で、この2学期の中間テストの試験範囲になっているかと思われます。すこし、その考察をしてみようと思います。

 「高瀬舟」というのは、江戸時代、京都の高瀬川を下って大阪まで罪人を護送した川舟で、護送役の同心羽田庄兵衛が、喜助という罪人の身の上と心持ちに関心を持ち、おのれを顧みるという内容です。

 喜助は弟殺しの罪人として遠島(島送り)の刑となり、高瀬舟に乗せられているわけですが、その様子があまりにも穏やかで、庄兵衛は不思議に思います。聞いてみると、これまでその日をしのぐのが精いっぱいの暮らしをしてきた喜助は、島へ送られて食うに困らない日々が送れるだけで、大いにありがたい、申し訳ないと言います。そしてお上から下された二百文の鳥目(銅銭)が、願ってもない貯蓄であり明日への元手だと言うのです。

 これを聞いた庄兵衛は、自分の身の上とくらべてみて、喜助が自分にはないものを持っていることに気づきます。それは「足ることを知る」、すなわち自分の境遇に満足する心です。

 庄兵衛は、喜助とは身分も違い、同心の扶持米と言えば微禄ながらも、喜助のこれまでの稼ぎとは桁の違う俸給であるにもかかわらず、得たものを右から左へ流すだけの暮らしと言う意味ではほとんど違いがない、ということに気づきます。しかし、喜助と自分の心持ちには、「大いなる懸隔」があることに愕然とするのですが、その「懸隔」こそ、「足ること」を知っているかいないかの違いに他ならないのでした(喜助は足ることを知っており、庄兵衛は知らない)。

 そして庄兵衛は、罪人である喜助の頭から毫光(ごうこう=仏の頭部からかがやく光)が差すように思い、かさねて喜助の罪の実情をたずねます。すると喜助は包み隠さず、貧しい暮らしを共にして助け合って来た弟が、病を苦にして自死をはかったが、死にきれず、のどに刺さった剃刀を抜いてほしいと懇願され、ついにその頼みを聞き入れた結果が「弟殺し」なのであると、淡々と語ったのでした。

 庄兵衛は喜助の話を聞き取り、それが本当に弟「殺し」なのだろうかと、疑問を抱きます。結局庄兵衛はその疑問が解けぬまま、オオトリテエ(権威=お奉行様)の判断に従うほかない、という結論に達します。達しながらも、なお「腑に落ちぬ、お奉行様に聞いてみたい」というところで、庄兵衛の問いは終わるのでした。

 この喜助の「弟殺し」は、現代で言えば「安楽死」と同義のものと思われます。それに対して著者の鷗外も、その是非を明言することなく、最後は「オオトリテエ=権威」の判断にゆだねるという形で、一作を終わらせています(「次第にふけてゆくおぼろ夜に・・・」の結びの一文については、私は好きです)。

 中3のテストに関連して書き出したため、テストのポイントをすこし示します。まずはこの「安楽死」という言葉、概念が、理解できたかどうか。より「テスト対策」的に言えば、「安楽死」の三文字を答えさせる出題は、非常に多いはずです。

 また、庄兵衛と喜助の間の「大いなる懸隔」、特に「懸隔」の二文字もそうです。

 そして「足ることを知る」。もちろん学業の成績で安易に現状に満足してはいけませんが、自分の境遇や生活環境など、自分の分に合った生活に、満ち足りてそれを受け入れること、それが「足ることを知る」ということです。

 その他、ややむずかしい表現としては「人は身に病があると、この病がなかったらと思う」からはじまる、人間の欲が次から次に大きくなって「踏み止まる」ことができない、というくだりでしょうか。これに対して「踏み止まる」ことのできるのが喜助であって、だからこそ庄兵衛は喜助に毫光を感じたのです。

 このあたりの重要な言葉と表現、そしてこれまで述べた流れが理解できていれば、あとは学校の授業のノートやプリントをチェックして、ひととおりのテスト対策となることでしょう。

 ただ、願わくは、テスト対策だけで終わりとするのでなく、次のことについてよく考え、自分の意見を持って欲しいと思います。

問1.喜助ははじめ弟を助けようと思っていながら、弟の「剃刀を抜いて死なせて欲しい」という懇請に動かされ、ついには弟を楽にしてやるために剃刀を引き抜き、弟の死を助けることとなりました。喜助の行為は、正しかったのでしょうか?また、かりにあなたが喜助の立場だったら、どうしますか。

問2.弟自身の頼みとはいえ、喜助は、ほかに身寄りもなく、たった二人で助け合って生きて来た愛する弟の命を、絶たなければなりませんでした。喜助の気持ちを、あなたはどう考えますか。

 「安楽死」が良いか悪いか、というような問題は、庄兵衛はもちろん、現代の専門家の間でも意見が分かれる、むずかしい問題です。ただ、いつかは誰もが向き合わなければならないのが「死」ですから、先に掲げた問1、問2について考えることで、みなさんが生や死について考えることの一助となれば幸いです。

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