「風景 純銀もざいく」(山村暮鳥)の鑑賞と学習②

 この春、「風景 純銀もざいく」を題材に勉強した生徒たちの鑑賞文をご紹介致します。各連の8行目、「かすかなるむぎぶえ」「ひばりのおしゃべり」「やめるはひるのつき」の中から、自分が一番良いと思うものを選び、その理由と、この詩について思うところを書いてもらったものです。三者三様の内容となりました。


¶私は、この詩を読んで、第二蓮の「ひばりのおしゃべり」が一番良いと思いました。
 ひばりのおしゃべりってどの年代にもあてはまると思ったので、想像してみました。お年寄りのおばあちゃん同士でおしゃべり。幼い子どもたちがおしゃべり。他の、第一蓮や第三連とは違って想像しやすく、美しい場面が思い浮かびました。
 もう一つ、私が想像したのが、遠い山奥でひばりとひばりがしゃべっている様子です。木立ちの中、気持ちのよい場所で、しかも、ひばりという小さな鳥がおしゃべりしていると、人間の何十分の一という小さな生き物がおしゃべりしている、何て可愛いの、そんなふうに感じました。
 こうした考えから、私は第二蓮の「ひばりのおしゃべり」を推しました。 (A.I)


¶僕は第二蓮が良いと思います。理由は、いちめんのなのはな畑に、ひばりが来て、おしゃべりしているところが、一番想像しやすかったし、一番なのはなに似合っていると思ったからです。また耳をすませた時にひばりの啼き声が聞こえたら、とてもなごむと思いました。
 また、第三連のようにマイナスを考えさせないし、第一蓮のむぎぶえは音を聞いたこともなく、正直よくわかりません。僕にとって一番しっくりくる、第二蓮を選びました。
                                             (Y.I)


¶僕は第三連が良いと思います。なぜなら、最後の「やめるはひるのつき」という一行は詩を読む人によってとらえる意味が違うからです。また、第一蓮から第三連の、内容の異なる行の中で、この「やめるはひるのつき」だけが目でとらえられるものなので、作者は何かを伝えたかったんだなと思いました。
 僕が思うには、この「やめるはひるのつき」というのは、太陽が出ている昼間は月が見えなくて、その月は病気の人みたいだというような意味が込められていると思いました。
                                             (S.I)

 このように考え、文章として書くことが、国語の勉強として、表面的な知識や解き方でなく、「読んで理解する」ことり根源的な力を養って行くことにつながります。もちろん一度の授業、一つの作品だけで劇的に変わるわけではありませんが(生徒本人の内面にあっては、作品との出会いが劇的な衝撃となることはあり得ます)、こうした体験を積み重ねて行くことで、本質的な国語の力は育まれるのです。

  『風景 純銀もざいく』は、作品の示している世界に、作者からの指定や限定がきわめて少ないため、読み手の考えによってさまざまな解釈が可能です。こうした作品について自由に想像を広げることで、子どもたちの感性も、無限に広がって行く可能性があるのではないでしょうか。

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