高校生の現代文テスト対策 芥川龍之介『羅生門』⑤<完結篇>全体のまとめ

 下人ははじめ、老婆が死体の髪の毛を抜いていることに気づいたとき、強い怒り=憎悪を覚えました。それは「悪」に対する怒りであり、「悪」を憎む正義感でもあります。本文の次の記述を、再確認しましょう。

 この時、だれかがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、改めて持ち出したら、恐らく下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上がり出していたのである。

 また、こんな記述もあります。

 しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけで既に許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで、自分が
盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。

 それほど、この時点での下人は悪を憎んでいた、言いかえれば、正義感に燃えていたのです。

 ところが、逃げ出そうとした老婆の前に立ちはだかり、つかみ合って、ねじ倒したあと、「何をしていた。言え、言わぬとこれだぞよ。」と言って太刀をつきつけたところで、下人の心理は、「この老婆の生死が、全然、自分の意思に支配されているということを意識し」、「ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足」に変わりました。

 ここまでは、前回チェックしたところです(さらにていねいに、まとめました)。

 さて、死体の髪を抜く老婆の目的が、「抜いた髪をかつらにして売り、自分の生活の糧(かて)とする」ことを知った下人は、「失望」します。そして、先ほどの「憎悪」(怒り)に、「冷ややかな侮蔑」が加わります。そしてさらに、老婆が、「死体の髪を抜くのは悪いことかも知れないが、自分が生きるためだから仕方がない。この女も、生きている時は同類だった」という意味のことを言い、それを聞いた下人の心理は、大きく転回するのです。まずは本文を、確認しておきましょう。

 しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、また、さっきこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時の、この男の心持ちから言えば、飢え死になどということは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。

 これで、下人の意識は、正反対の方向に変わりました。羅生門の下で、「盗人になるよりほかない」という考えを持った時は、それを実行する勇気が持てなかった(良心や正義感が邪魔をしていた)のですが、老婆が登場し、「悪に対する憎悪(怒り、正義感)」を喚起された下人は、同じその老婆の言によって、「みずからが悪に手を染める勇気」を持つに至ったわけです。そして下人は、次のような言葉を発し、行動に移ります。

 「きっと、そうか。」
老婆の話が終わると、下人はあざけるような声で念を押した。そうして一歩前へ出ると、不意に右の手をにきびから離して、老婆の襟髪をつかみながら、嚙みつくように、こう言った。
「ではおれが引剝(ひはぎ)をしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」

 引剝、すなわち老婆の一枚きりのみすぼらしい着物をむりやり引き剝がして、下人は夜の闇の中へ消えていきます(老婆から奪った着物を売ることで、下人は、何回か、あるいは何日かとぼしい食にありつくだけのお金は手に入れられるのでしょう)。

 ただいま引用した、「きっと、そうか。」という言葉を発したあと、少し前まで「悪を憎んでいた下人」は、もういません。彼はみずからが越えるべきか否か逡巡(しゅんじゅん)していた「悪への壁」を、越えてしまったのです。その壁は、一度越えてしまえばもう二度と元へはもどることのできない、高い壁でした。

 老婆はしばらく経ってから、楼上から下へ下りる梯子の口へ這っていき、門の下をのぞきこみます。その目にうつる光景は、こう描かれています。

 外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

 そして作品は、<下人の行方は、だれも知らない。>と、結ばれています。

 本サイトで最初にご案内した「読解シート」では、作中における老婆の位置づけを、次のように問いかけています。模範回答も併記します。

⑨「老婆」は「下人」に、ある変化を促す契機として登場している。「変化」の内容を簡潔に説明せよ。今までの回答の内容と言葉を用いてよろしい。

 「盗人になる」ための「勇気」を持ち、実行すること。

 また、引剝をして消えていく下人について、最後に考えていただきます。

⑩「黒洞々たる闇があるばかりである」とは、何を暗示しているのか。

 自分自身が迷って踏み出さずにいた「悪」の道に踏み込んでしまった「下人」の、暗く先行きのない「未来」。


  『羅生門』読解サポートのための連載は、これで終わりとさせていただきます。もちろん、『羅生門』に対する私(小田原漂情)の見解というものはありますが、そのことを記すのが、この連載の目的ではありません。
 この連載では、みなさんが『羅生門』を読み解くのに必要なポイントや、「ひとつの見方(もちろん、これも”小田原漂情の考え、解釈です”)」をお示しし、全体の理解のお手伝いをする道すじを、整えたつもりです。
 ここから先は、ぜひ、みなさんが、自分自身の「考え」をまとめ、できれば文章にしてみて下さい。原稿としてお送りいただいた方の文章は、ご希望により、本サイトに掲載して紹介するなり(実名・匿名の別もご希望通り)、意見を付してお返しするなり、対応させていただきます。右記アドレスへお送り下さい。  hyojo@kotogaku.co.jp  


※なお、下人の「悪」や「老婆」に対する「憎悪」について、より理解しやすい道すじとして「怒り」という表現を独自に用い、場所によっては「憎悪」(怒り)と表記していますが、当然ながら、「憎悪」と「怒り」を、同義語または類義語として用いているものではありません。

◇本稿は、「高校生の現代文テスト対策」がシリーズ題でもありますので、付録として、『羅生門』語句チェック表を、添えておきます。試験前にひととおりチェックしておきましょう。

『羅生門』《語句チェック表》

鴟尾  読み しび    意味 宮殿などの棟の両端に取り付ける魚尾形の飾り
sentimentalisme    読み サンチマンタリスム  意味 感傷癖

襖    読み あお    意味  狩衣と同じ、男子の衣服
  
低徊  読み ていかい 意味  首をたれ、思いにふけって、あちこち歩き回ること
※本作品では、下人の考えがそのようにあれこれとめぐらされたことに用いている。

くさめ           意味  くしゃみ 

汗衫  読み かざみ  意味  下着の一種類 

鞘走る 読み さやばしる 意味  刀が鞘から自然に抜け出ること

檜皮色 読み ひわだいろ 意味  ヒノキの樹皮のような赤黒い色 

執拗く 読み  しゅうねく  意味  しぶとく。じいっと。

引剝  読み ひはぎ  意味  ひきはぎ。おいはぎ。

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