『山月記』サポート篇①~読書感想文の参考にもどうぞ!

 「中島敦の『山月記』読解の重要ポイントはここ!」は初回掲載以来好評をいただいております。「より理解しやすい読み方のサポート」として、以下「サポート篇」をご案内させていただきます。

 第1回は、難解な語が多い、冒頭部分についての解説と、「言いかえ」です。「言いかえ」とは、漢語漢文調で特にわかりづらいであろう冒頭部分を、さりとて「現代語訳」するものでもありませんから、現在の高校生のみなさんにわかりやすく、「言いかえ」たものです。夏休みの最終盤であり、『山月記』で「読書感想文」を書いている方もおられるでしょうから、急ぎ掲載する次第です。

 <隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作にふけった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日をおうて苦しくなる、李徴はようやく焦燥に駆られてきた。>

<言いかえ>版
 『隴西の李徴という男は、非常にすぐれた頭の持ち主で、よく勉強もし、天宝(年号)の終わりの年には、若くしてすでに進士(国家公務員試験のようなもの)に合格し、上級官吏(エリート国家公務員)の一員となっていたが、性格がひどくかたくなで独りよがりであり、自信過剰とも言えるほどプライドが高かったので、官吏として日々の仕事をすることに満足できなかった。そのためいくらも勤めないうちに仕事を辞めてしまい、その後は、故郷の虢略(かくりゃく)に引っこみ、詩を書くことに専念した。官吏として長年上司や政治家に頭を下げて生きるよりも、詩人としてゆるぎない名声を、自分が死んでから百年あとまでも、残そうと思ったのである。しかし、詩人としてはなかなか有名になれず、妻子を抱えての生活は、日に日に苦しくなる。ここまで来て、李徴はやっと焦りはじめた。』
 

 ここまでのくだりは、「李徴がどんな人物であるか」を紹介している部分です。さらにかみ砕いて言ってしまうと、「頭がよく、勉強もちゃんとするエリートだが、異常にプライドが高く、他人とうまく合わせて行くこともできない性格だったから、せっかく試験に合格して採用された高級官僚の道を自ら捨ててしまい、プロの詩人になろうとしたが、なかなか認められず、生活が苦しくなって、焦りはじめた」というところでしょう。

 現在、「読解本篇」として、「中島敦の『山月記』読解の重要ポイントはここ!」が掲載済みですが、この「サポート篇①」とあわせて読んでいただくことで、より理解がしやすくなると思われます。「サポート篇」の続篇は、中間テストにかけて何回か、掲載する予定です。

 なお、「言いかえ」に記したことは、教科書の注釈をきちんと確認し、二度か三度読めば、わかるであろう内容です。サポートのために掲載したわけですから、活用していただければうれしいですが、古文・漢文、またみなさんにとっては古典の領域に近い(かも知れない)明治・大正・昭和初期の文章を読むときは、必ず注釈を、しっかり読みこむようにして下さい。

◇内容についてより詳しく知りたい方、他作品でも、国語の勉強についてご相談のある方は、お気軽に下記(言問学舎・小田原)までご連絡下さい。

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