高校生の現代文テスト対策 夏目漱石『こころ』・読解補遺②「御嬢さん(のちの妻)」の心情について<後>

 教科書に掲載されている範囲から逸れますので、あらためて少し解説しますと、『こころ』は「上 先生と私」、「中 両親と私」、「下 先生と遺書」の三部からなり(以後、ふたたび「上」「中」「下」と省略します)、「上」に登場する「妻(さい)」が、「下」において「先生」と「K」がこもごも思いを寄せた下宿の「御嬢さん」です。「中」の最後に届いた「先生」からの「遺書」により、「下」では先生の青春時代へと、二十年以上時間がさかのぼっているのです。

 「妻」は当初の登場人物としては、若い「私」がその暗く深い人物像に惹かれてゆく「先生」の伴侶として、「先生」の陰の部分を際立たせる役割を帯びています。従って「妻」自身、時に陰翳のある人物として描かれていますが、それは若い「私」から見た大人の女性としての面を持つものでもあり、「妻」その人は無垢な性質の人物でもあります。このことは、「先生」のエゴイズム(我執)と深い関係がありますので、気にとめておいて下さい。

②「妻」の時代

 では、「妻」の心情を見て行きたいと思います。「妻」が「私」に対して「先生」のことを語った部分を、いくつか引用しましょう。

「上」十一 (先生について、「私」の台詞)「それで何故活動ができないんでしょう」
「それが解らないのよ、あなた。それが解る位なら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」(このあと、「若い時分はあんな人じゃなかった」ことを明かし、書生時代から「先生」を知っていたことを告げると、「薄赤い顔」をする。)

「上」十八 (「先生」が夜一人で会合に出かけるので、泥棒よけの留守番のために「私」が「先生」の家に行き、「妻」と二人で「先生」のことを話し合っている場面)
(前略)「これでも私は先生のために出来るだけの事はしている積りなんです」
(中略)「私はとうとう辛抱し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪いところがあるなら遠慮なく云って下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、御前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだと云うんです。そう云われると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出て猶(なお)の事自分の悪いところが聞きたくなるんです」

 紙幅の関係で2か所にとどめますが、いま挙げた部分からだけでも、「妻(さい)」はいちずに「先生」を愛しており、結婚前は向学心を持ち頼もしい人物だった自分の夫(「先生」)が、なぜ働きもせず(経済的には、父の遺産で生活できる)、世間に対して何かを問うような仕事をしようともしないのか、言いかえればまるで覇気のない人間になってしまったのか、その原因がわからず、わからないから自分に責めを帰して苦しんでいることが読みとれます。

 その「原因」とは、直接の契機としては「K」の自死であり、「K」の自死の誘因は「先生」の「裏切り」だったわけですが(この部分の解釈は、本稿の本篇④⑤をお読み下さい)、「先生」はある理由のためにそれを「妻」に明かさないことと決めていますから、「妻」にはそれが永遠に明かされない謎のままになってしまうのです。

 このように「妻」も苦しんでいるのですが、いっぽう「先生」も、苦しんでいます。それは次のような台詞に、端的にあらわされています。

「上」十四 「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用出来ないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」

 この台詞は、「私」の、「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」という問いに対して返された答えです。こうした「先生」と「妻」、二人の夫婦のありようを、「先生」は「下」の「遺書」(注:「下」全体が遺書です)の中で、次のように概括しています。

「下」五十四 (前略)私と妻とは元の通り仲良く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。然し私の有(も)っている一点、私にとっては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。

 「妻」の心情を対象に今回の稿をまとめますと、「妻」は「先生」を一心に愛しており、自分の努力で夫を変えられるならどんなことでもする、そこまでの覚悟を持っていながら、夫である「先生」が明かしてくれない「暗黒な一点」のために身もだえするほどに苦しむ、「気の毒な」女性であるということになります。

 また、「暗黒な一点」(過去の事実としては「K」との一連のことであり、そのために生じた「先生」の苦衷)と、それをなぜ「妻」に明かさないのか、ということが、作中の人物に関する考察の範疇では、全体の鍵になるのですが、それはまた稿を改めたいと思います。

 今回の期末テストに対しては駆け込みぎりぎりとなってしまいましたが、とくに『こころ』全篇を読んで考え、その内容がテストにも出る学校の方、また教科書で『こころ』を読んで惹かれ、全篇を通して読んだ方など、真剣にこの作品に真向かう方たちのお役に立てれば幸いです。

◇内容についてより詳しく知りたい方、他作品でも、国語の勉強についてご相談のある方は、お気軽に下記(言問学舎・小田原)までご連絡下さい。

TEL03-5805-7817 E-mail hyojo@kotogaku.co.jp


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