高校生の現代文テスト対策 夏目漱石『こころ』本篇③<精神的な向上心とは?>

 「K」から「御嬢さん」に対する切ない恋を打ち明けられて、「先生」の平常心は完全に失われました。

 はじめは、「K」に自分の思いをも告げるべきであるのに、それができない葛藤。そして、「K」が「御嬢さん」とその母である「奥さん」に、求婚などしていないだろうかという疑念。これらの思いが「先生」を苦しめます。

 特に後者については、「同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句」、「自然の与えてくれる」機会が来るのを待つことにしたのです。

 今回の表題の「精神的な向上心」、すなわち「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は、「K」の自白(告白)が自分だけに対するものであることをすでに確認した上でさらに、無警戒な「K」が、日頃の己の生きる「道」と「恋」とに悩む自身のことを「先生」がどう見るか尋ねたのに対し、「ただ一打(ひとうち)で彼を倒す」ためにぶつけた言葉です。

 「K」は「道のために生きる」ことを人生の最大目標にしていたような人物です。すでに「御嬢さん」に恋をするようになっていた「先生」は、「K」が日蓮の話をしようとしたのに取り合わなかったことで、「精神的に・・・」の言葉を、「K」から浴びせられます。「先生」の方は「人間らしい」という言葉でこれに対抗したのですが、その時は、女性に恋をし、結婚などを意識する先生(あるいは普通の人)と、そうしたことを歯牙にもかけぬ「K」の対比が印象的でした。

 ところが、どうしたことかその「K」が、「御嬢さん」に恋をしてしまったのです(人生一般から考えれば、決して不思議なことではありません。だから漱石も書いたのでしょう)。しかもその相手は、「先生」自身が以前から深く愛していた「お嬢さん」です。一軒の家に若い美しい女性がいて、若い男二人が共同生活をしているのですから、当然と言えば当然なのですが、それゆえに「先生」は黙視することができず、「K」の方は全く無警戒に弱い姿をさらけ出して、みなさんよく知るところの「先生」の裏切り、「K」の自死へと、つながってゆきます。

 つまるところ、「精神的な向上心」とは、恋愛や世間的な関心ごとに気をとられず、人生の高みをめざして「道」のために精進する、そんな精神のありようを言うのでしょう。

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