自転車のチェーンにあたる古典の常識②~『大鏡』から その2

 高校生、特に大学受験にのぞむ人たちに古典を教えていると、ときどき聞かれることがあります。
  「受験勉強で日本史をやっている人の方が、古文は有利ですか。」
 私の答えは決まっています。
  「いや、特にそんなことはないよ。」

 もちろん、時代背景や(『大鏡』なら)藤原氏の人物名などの固有名詞を知っている方が、なじみやすいということはあるでしょう。ただ、それはかなり限られた時代の、一部に過ぎません。「中学の社会で習った歴史」プラスアルファの知識(作品の背景解説から得られるもの)があれば、十分なのです。とはいえ、藤原氏の摂関政治などという基本中の基本を「聞いたこともない」というところからやり直すのでは、ちょっと大変ですが。

 今回お話ししたい「古文の常識」としては、とくに藤原摂関家などでは、「兄弟」はライバル、あるいは敵だ、という点を挙げておきます。次の例をお読み下さい。はじめは現代語訳の要約です。

 関白藤原兼通が重い病に伏せっていると、通りの方で先払いの声がした。聞くと、弟の兼家の行列であるらしい。
「今まで仲が悪かったが、いよいよ自分が危篤と聞いて、見舞いに来てくれたか。」
と、兼通は思ったが、兼家は屋敷の前を通り過ぎ、そのまま参内してしまった。
 怒り狂った兼通は、重病の体で無理を押して参内し、驚いている帝や兼家の前で、兼家を大将の位から治部卿に格下げし、頼忠を自分のあとの関白の位につけるという、「最後の除目」を行なった。そして退出すると、まもなく亡くなった。 (『太政大臣 兼通』)

 このように、実の兄弟であっても、ことに出世(官位の昇進や任官)がからむと競い合い、憎み合うまでになった実際の例が、書かれています。

 ですから、それが叔父と甥の関係などになれば、当然さらにはげしくなります。

 次は、藤原道長(兼家の五男)と伊周(兼家の長男であり道長の兄である道隆の、二男)が、道隆の屋敷の「南の院」で、弓の射くらべをする段です。

 道隆は突然道長が現れたことに戸惑いながらも、弓を射る順番も先にするなど精一杯機嫌をとりましたが、的を射た矢の数が、息子の伊周が二本道長に負けると、取り巻きたちと一緒に「あと二回延長しなされ」などと言って延長させます。息子びいきをしたのです。すると道長は、次のように言い放って、矢を射ます。

 「道長が家より帝、后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ。」(道長の家から天皇、皇后がお立ちになるはずならば、この矢よ、当たれ。)

 すると矢は、的に命中と言う中でも、ど真ん中に当たったのです。次に射る伊周は臆してしまって、その矢は的に近づきもせず、見当違いの方に飛びました。

 「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ。」(自分が先々、摂政や関白をするはずであるならば、この矢よ、当たれ。)

 さらに道長が言って射た二本目は、的も破れんとするほど、前の矢とまったく同じところに突き立ちました。そして父の道隆はすっかり気落ちし、興ざめして、伊周に、「もうやめろ、射るな、射るな。」と言って、場は白けてしまいました。

 この話は、道長の豪胆さと武勇とをたたえていますが、今回着目すべきポイントは、最初のセリフで、道長が「道長の家より帝、后立ち給ふべき・・・」と言っていることです。知っている人にはあたりまえのことですが、兄弟でも、「道隆家」と「道長家」はまったく別の家で、その関係は官位を競い合うものであるということです。現代では、兄弟が成人してそれぞれ世帯をかまえるのは普通でも、同じ道で覇権を争うというようなことは、ほとんどありません。こうしたことを知っておかないと、「文語を口語に置き換える」ことだけで精一杯になってしまい、話の筋をよく理解して、その味わいを読みとる、というところに達することは、できません。

 これが、「自転車のチェーンにあたる古文の常識」の例なのです。なお、この時点で道隆は関白であり、その息子の伊周は、道長よりも高い地位にいました。その状況下で、矢を射るにあたって「帝、后・・・」「摂政・関白・・・」と言いながら矢を的中させた道長の豪胆さは、彼をたたえることが中心の『大鏡』とは言っても、深く考えさせられるものがあるようです。

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